九死に生活を得た人間の外見は

とある機会に死にかけて生還してきた奴という巡り合う機会がありました。
あたし自体が以前に死にかけて生還してきた人材なので、死の淵から帰って来た人間の顔というものが感覚でそれとわかるようになりました。
死ぬかもしれない時代はこういう何とも気苦労が願わくはならないのかというのですが、その生還してきた奴もそうでしたし、そういうことが薄いということがどんなに幸かを噛み締めて日毎暮らしてある。
いのち長らえたら、憑き物が取れたようにボディもスピリットも軽くなります。その人もそういった軽やかな顔を通じていました。
やっと助かったいのちだから生きていることにただ感謝して、日毎を極力生きようというようにあたしはなりました。その人も口には出しませんが、力一杯生きようという元気が体内から放たれていました。
人材は生きているのではなく生かされているということをいう奴がある。確かにそんな顔がいのちにはあります。
九死に人生を得た人材は大体明るく軽やかな顔を通じていて、人材がすべて、誰かって誰かのお互いのお陰で皆で生きていて、そういった元気が死にかけてどうにかわかったのかもしれないというくらいには、気分も発想もほとんど素晴らしいわけでもないとも考えが付きます。
そんな意味でいのちこそお宝だ。あたしもその人もそういうことを実感しているような顔になっていて明るく軽やかな顔をしているのであると思いました。